留むれど招くは神の心か、いつしか空晴れて日よくなりたれば、此間にと紅葉もて奥の高雄の名ある中野山をさして行く、
(中略)
麓を流るゝは中野川にて、橋をわたらんとするに美しき瀧見ゆ、高からねど幅廣く、糸を解きては擴げつゝ岩の上より亂れ落つ、その左右よりは色濃き紅葉の枝さし出せるなど、箕面を小さくせし心地ぞせらるゝ、鳥居を入りて落ち葉踏みつゝ石段をあがる、何れを向きても皆赤し。
御社には~樂殿などありて藩の頃には榮給ひし跡、今も~々しく拝まれ給う、山の紅葉は津輕候の寄進し給へるものなりとか。かの瀧の水上は玉垣の外を流れてこゝにも二段の瀧をなし、音さわやかに錦張りたる中より落つるは立たましく惜しき處なれども、下がりてこそと促がされ、色よき落ち葉を拾ひつゝ山を下り再び橋を渡りて川邊におり立つ、こゝは瀧を正面に見る處にて津輕候御手植なりという大木の楓四本あり、されどまだ青きのみは物足らぬ秋なり、此木蔭なる石の上に外套打ち敷き、鯣を肴に盃めぐらす、橋打ち渡りかけては眺めをる親子づれの村人、母は紫の頭巾をし、娘は赤き襟を掛けたるが、下ゆく水に映りて是も紅葉なり
『 瀧の上に枝さしかはすもみぢ葉を神の手かりて折るよしもかな 』
日影あたゝかに照して、わが顔も火のやうに燃え立つ心地す。 |