仙境の地「黒森山浄仙寺」

黒森山・浄仙寺山門



黒森・追分石
浄仙寺参道案内札三十三観音



三十三観音
浄仙寺初冬
 浄仙寺
  享保三年に黒石市の来迎寺七世浄仙が黒石市の坂中(現在の前町神明宮あたり)に隠居所として浄仙庵を創立した。
黒石市鍛冶町の鍛冶屋に生まれた山崎是空(ぜくう)は、来迎寺の弟子となり中野不動の洞穴で修行中に霊感を得て黒森山に入り、文政七年(1824年)浄仙庵の名跡を使って、浄仙庵を復興するという形をとり、黒森山に開山した。
 是空は修行のかたわらに寺子屋を設けたため黒森村や近在の若者が教えを受けに集まり、これが黒森学校の始まりで明治元年には寺子15人、同二十年には80人を数える者がおり、大正二年まで続いた。
 是空は開基以来、明治九年(1876年)5月に入滅するまでの50年あまりただの一度も山を下りることはなかった。
 本堂は明治40年に建立したが昭和19年に焼失し、昭和41年に再建されたものである。 



 黒石市街地から見える黒森山は椀を伏せたような形の山で、
通称 『 坊主山(ぼんずやま) 』 といわれてます。
黒石市民には山寺のある仙境の地として知られ、境内には文学碑のあるところから『文学の森』とも称されてます。 
黒石市・黒森山遠景