黒石よされ 日本三大流し踊りの所以
 
               見たか 黒石 聞いたか よされ 盆の踊りは日本一
 
 
日本三大流し踊りの所以 【黒石よされ】
 『黒石よされ』・・・地域の人々にとっては聞きなれた呼称であり、その旋律を奏でる三味線、太鼓や鼓の響きは黒石に長く住んでいる人々には馴れ親しんだ囃子であり盆唄のひとつです。全国各地の夏祭りの踊りや盆唄は古くからの地域文化の継承にもなっており、観客数だけをとって、どこそこがイチバン!と単純な甲乙はつけがたいもので、夏のこの時期にはメディアにより知らされる各地の踊りも数多くあります。
 これらの全国各地に伝わる民踊(みんよう)の普及に力を入れるために、全日本民踊指導者講習会という全国の民踊愛好者と指導者を対象に毎年各都道府県から民踊を選び、現地の指導者を招き直接指導を受けて、一般への普及と指導者の資質の向上を図ることを目的として開かれており、今では50回を超える開催数となっています。

 この講習会と『黒石よされ』に関わるちょっと面白い話を・・・。

 昭和36年(1961)に開催された第1回の講習会に選ばれた栄えある曲は、@そうらん節(北海道)、A八戸小唄(青森県)、B津軽盆唄(青森県)、C秋田音頭(秋田県)、D秋田おばこ(秋田県)、E会津磐梯山(福島県)、F八木節(群馬県)、G秩父音頭(埼玉県)、H大島あんこ節(東京都)、I佐渡おけさ(新潟県)、J阿波おどり(徳島県)、K炭坑節(福岡県)、L鹿児島おはら節(鹿児島県)で、この他に講習会の主催団体である日本フォークダンス連盟理事長さんのご縁で、黒石よされは特別指定曲として参加要請がされたそうです。
 大会は6月23日から25日までの間、静岡県御殿場市の国立中央青年の家で全国各地から600名余の唄や踊りの指導者等の方々が参加して開かれました。選ばれた曲は全国に知られる名だたるものばかり。3日間の講習会の最終日に参加者に対して指定曲の14曲のうちリクエストを募ったところ、第1位が黒石よされ、第2位が八木節、第3位が阿波おどり。
 なんか・・・エッ!と思いつつも嬉しくなりますネ。

 翌年の昭和37年(1962)の第2回大会には全国各地からの自薦他薦がある中、再度の講師派遣の依頼があって改めて課題指定曲となり、まさに希な2年続けての参加となった次第。
 この年の指定曲は、@黒石よされ(青森県)、A江差甚句(岩手県)、B相川音頭(新潟県)、C相馬盆唄(福島県)、D日光和楽踊り(栃木県)、E白浜音頭(千葉県)、Fちゃっきり節(静岡県)、G郡上おどり(岐阜県)、H尾鷲節(三重県)、I長尾節(富山県)、J福知山音頭(京都府)、Kでかんしょ節(兵庫県)、Lよさこい節(高知県)、Mばんば踊り(宮崎県)

 いずれの曲や唄も大都会の民謡酒場なんかで披露すれば、おらが故郷の音頭でにぎわい、また、太鼓や笛の音にあわせて各地の聴きなれた名曲を唱和し楽しむことができること間違いなしのものばかり。

 で・・・、講習会最終日のリクエストでは、何とまたまた第1位が黒石よされ。
『よく知っている踊りより、知らないものに興味を示したんだろう・・・』、なんて意地悪なコメントもありそうですが・・・(笑)。
こうなると、『何故なのか?・・・なぜ?』と、しっかり考察する必要性がありますネ。

 多くの盆唄や音頭は、笛や太鼓の音色にあわせて歌い手が独唱し、それに合わせて踊り手達が合いの手を唱和して踊るのが一般的です。この講習会でのリクエストは、単に踊りやすい、唄いやすいだけではなく、参加した各地方の民踊、盆歌に関して玄人はだしの踊り手達の感性を高揚させる多くの要素が、間違いなく黒石よされの踊りや旋律、リズム感に含まれているのではと推察されます。
 講習会の場所は体育館なのか広場なのかわかりませんが、体育館ならば600人余りの踊り手たちは、前後左右の人の息遣いが聞こえ肩も触れ合うほどかと。響く太鼓や鼓に三味線の音色、黒石よされの流れるような踊りの手さばきと足さばき、唱和する『エチャホ〜、エチャホ〜』の合いの手。リズム感とテンポの良さも際立ったのかもしれませんが、2年続けての参加者からのリクエスト最多数で第1位というのは、ある意味での金字塔ではないでしょうか。

 昭和57年の日本フォークダンス連盟の創立25周年大会(会場:東京都・オリンピック記念青少年総合センター)では、黒石よされに出演依頼があり、黒石よされ実行委員会は総勢35名で参加。同連盟では、この大会に世界のフォークダンスの他に日本の民踊をあわせて180曲を参加者とともに踊り、日本の三大祭りとして南の代表は徳島県の阿波踊り、中部代表は岐阜県の郡上おどり、北の代表は黒石よされとして、これらの三代表の演舞時間を特別に設けて披露したそうです。
 大会期間中に、これらの三踊りには『黒石よされ室』、『阿波踊り室』、『郡上おどり室』と、それぞれ講習用の部屋というか教室が与えられたそうで、黒石よされの教室は、いつも満員だったそうです。阿波踊りはもちろんですが、徹夜踊りで知られる郡上おどりも今では全国に知れわたり、この2つの横綱級と双璧するような扱いを受けたのですから、黒石よされはやっぱり踊りとしては凄いんですよね。
 巷の人達からはパンフやポスター等でも見る『日本三大流し踊り』の表記は大げさではとの声もありますが、この『三大祭り』としてのお披露目から黒石よされは日本三大流し踊りと称するにいたった所以のようで、それなりのしっかりした根拠はあるわけですよ。

 より良き祭りや踊りにしようと、先人達の工夫や労苦が黒石よされの進化発展に寄与してきたはずです。時代時代の影響を受けて黒石よされも今日に至るまで、開催方法や日程等に多くの変遷がありました。見慣れた黒石よされに対して慢性化気分でいる地元の人の考えが及ばないほどに、ひょっとしたら各地の踊りと比較しても黒石よされの方が群を抜いて洗練され、踊りも華麗で美しいのかもしれません。
 多くの盆唄等を知り、それぞれの土地柄の踊りの仕方、足の運びや、手の角度の動きを忠実に伝承、普及させる目的で民踊に関わり、踊りの楽しさを知る人達が実際に黒石よされを体験したからこそ前述の結果となったのでしょう。

 最近の黒石よされ流し踊りは、若い人達の参加も増えて熱く踊る律動的な賑やかさはイイですね。ただ、流し踊りをしている際の一部ですが、踊り手の手さばきのバラバラ、自己流はちょっといただけませんけど・・・・・。
でも、流し踊りの合間に行われる回り踊りの「黒石甚句」、「黒石じょんから」、「ドダレバチ」の楽しい賑わいぶりは、やはり黒石よされの原点なのかもしれません。中心市街地の狭い道路での多くの人を巻き込んでの熱気、決して全国の名だたる盆踊りの様子と比較しても遜色なく、数百年にわたって引き継がれ残ってきた所以なのかも。

 整然とした踊りのために広い道路の両側に桟敷席を設けて観客の便宜を図ったり、観光客の多さやビジュアル的な要素で人気を博す踊りも多いですが、古来から名物とも言われた黒石の盆踊りを垣間見るものとして、昭和六年に刊行された『明治初年の盆踊り絵 (浅瀬石川郷土志:綴込)』にもあるように、黒石の盆踊りは唄や舞踏ばかりに特徴があったのではなく、踊りの行列に出る人々の道化する仮装姿もそのひとつで、法被姿の人々、男子は女装し女子もそれぞれ変装する人々、三味線や太鼓に鼓の音曲に合わせて武士も町人も誰もがひとつの輪、それぞれの輪になって踊りまくったという風に伝えられており、絵を見る限りではビジュアル系の要素はたっぷりです。

 往時の踊りと今の踊りでは趣も違うでしょうが、流し踊りの練り出していく情緒、回り踊りの律動感の所作は変わらないと考えます。黒石の狭い道がゆえの距離感というか、一緒に踊りたくなるような雰囲気を漂わす街並みの佇まい・・・・・これって大事ですよね。夏に黒石ねぷたと同様に黒石よされは欠かすことができない催し、その伝統ある黒石よされを多くの人達が十二分に楽しめるよう関係者にはいろいろとご苦労様ですが今後ともご尽力願いたいです。

 黒石よされの唄の一節『見たか黒石 聞いたかよされ 盆の踊りは日本一』・・・。
三大踊りどころか、昔から日本一と言ってますネ (笑)

                       参考文献 「黒石よされ 五百年余の軌跡:石沢清三郎著」(平成10年刊)